よだかは誰がころしたの?
ザム3が発売になったのが平日のど真ん中。
次の日が仕事だろうと何度も円盤を回しまくった。
止められない感情とパッションを持て余し弔いとしてこの人物について語ろうと思う。
このストーリーの中で圧倒的に気高く崇高な男。私利私欲とは無縁の骨の髄まで自己犠牲の塊のような武神。
もうダメ、抑えきれない!!辛すぎる!!心が痛い!
一体スモーキーが何をしたというの!!身寄りのない人々に家族という絆を与え、愛を教え、弱いものたちのために誰よりも強くなって、街を守り守護神と呼ばれただけじゃないの!!!
全く、こんな世の中間違ってる!!と声高にして言いたい。
でも、これがまさに世知辛い世の縮図のような気もする、
HIGH&LOW THE MOVIE3 FINAL MISSION。
※本記事はハイローシリーズ並びに映画のネタバレを大いに含みます。また個人的主観に基づく考察ですのでお口に合わない方はブラウザバック推奨
SWORD地区には5つの拮抗する勢力がある。
簡潔に言えば大人に成りきれないやんちゃな男たちといえばいいのか。5つのチームを一つの言葉で括ることは難しいがどこのチームもヤンキーと言い捨ててしまうには惜しいくらい一本筋が通っている。
とはいえやれメンツだ、仲間だ、女だ、プライドだとそれぞれの自分自身の譲れないもののために暴力で諍いを繰り広げているのだがその中でも一際異彩を放つ地区がある。
無名街―――
親に捨てられたもの 身元を隠すもの 行き場を失ったもの
深い闇を抱えたモノたちが集まってできた治外法権の街
これだけ聞けばさぞや荒れ果てた 無秩序は場所だと思うだろうが、
実際は 守護神がいることにより統制を保たれた 一種のユートピアである。
彼らが守りたいものは己のプライドやメンツではない。人間の営みの根幹である生活である。彼らのささやかな願いは 家族と暮らす平穏な日々である。
この本質がこの地区が他の地区に比べて異質な理由である。
彼らに足りないのは圧倒的に絶対的な愛である。人間とは土台に揺るぎない愛情を注がれて初めて自分のことを考えることができる。枯れ果てた大地に花が咲かないように自分を咲かせるためにはその土地を耕す必要があるのだ。
これを比較するには山王地区が一番分かりやすいだろう。
ハイロー シーズン1にて描かれるのは商店街全体で子供達を見守る大人達の存在。その上で子供たちは本当の仲間を見つけて成長していく。
馬鹿の特権は後先考えずに行動できることだ、馬鹿。行ってらっしゃい。
シーズン1 第七話「チハル」
彼らも無闇に喧嘩をしているわけではないが失敗しようが仲違いしようが帰るべき暖かい場所がある。拳を突き合わせる仲間だとか肩を並べて夢を語るだとか何でもないような平凡に思えることは、全て愛と居場所が過不足なく与えられて初めて考えることが(手を伸ばすことが)出来るものなのである。
一方で無名街の住人は愛も居場所も知らずにこの街にやってくる。
そんな場所では夢も希望も未来も思い浮かべるには過酷な環境だろう。
ただ、そこには守護神と呼ばれる存在がある。
スモーキーは街にいる血の繋がりもない見ず知らずの人々を家族と呼ぶ。ラベリングとは忽ちその集団に意味を与える。それは誰かと繋がっているという実感、一人ではないということ、即ち愛である。
RUDEBOYSとはそれらの家族を守るために作られた組織である。その存在によって街の住人は初めて絶対的に自分を守ってくれる存在(ニアリーイコール家族)に出会うのである。
家族とは1人の男と1人の女が愛し合うことによって生まれる。宗教じみたことを言えばまさに人間が神から与えられた生殖という機能と愛という本能の結果である。誰もが生まれた時に持っているはずの絆である。
それを彼らに擬似的であれ与えたスモーキーという存在は間違いなく“神”なのだろう。
そしてその先に「高く飛べ」という言葉がある。これはスモーキーの口癖でもあるのか作中何度も登場してくる。愛という基盤を固めて、それを踏み台として高く飛べというのだ。これは最終作 FINAL MISSIONの言葉に繋がってくる重要な意味を持ってくる。
そうして神と呼ばれるスモーキーだが一体どんな人物なのだろう。
無名街、ひいてはスモーキーを語るのに重要な彼の言葉がある。
優秀な奴が夢を描いた 優秀なだけに夢はどんどん実現しそいつの周りにはたくさんの人間が集まった。そして夢が叶った。多くの人に祝福された。 ただそれはそいつの最高の瞬間でしかなかった。 優秀な人間は他にもいる。そして無能な人間もいる。
夢はあったが 無能な故に 夢が叶うことなく平凡な日々を送った。ずーっとだ。
両者の共通点が分かるか?
生まれてきたということだ。 夢が持てるということだ。
シーズン1 第6話「RUDE BOYS」より
持つものと 持たざる者
無名街の住人は後者に当たるのだろう。それでも平凡な日々を送ることが出来る。生きて、夢を見ることが出来る。これがスモーキーが描いた理想郷だ。
だからこの言葉に否定で返した男は許されない。明確な繋がりのない人々を言葉だけ束ねていくのは一筋縄でいくものではないだろう。無名街は家族という甘い言葉で繋がりながらも厳しい秩序がある。
その証拠にRUDE BOYSの中核メンバーであるシオンも理由はどうあれ家族を脅かす存在としてこの地を追放される。臓器を置いていけと厳しい言葉を浴びせられる。
しかしスモーキーは実際にはそうしない。その後に続くのは「消えろ」という声だ。それが意味するのはシオンも残る家族も両者とも守ることの出来る選択肢だ。
彼は孤高であり、意思と行動指針をハッキリと持っている。どこか近寄り難く気圧される気配を纏っているが彼の表情や言葉の一つ一つには暖かさと情がある。故に圧倒的リーダーであり時に圧力的に見えてしまいそうなのにも関わらず慕われる。信仰される。
それは彼が寡黙でありながら内に秘める愛を伝えることを惜しまないからである。
そしてその至極の愛がFINAL MISSIONの最後の言葉となる。
動き出した九龍グループに追い詰められ、武器を持たぬ彼らでは抵抗が出来ない窮地に陥った時。あれだけ諦めないと言ってきた無名街という場所を、解き放ちます。
それに反発するRUDEにスモーキーは微笑み語りかける。
俺たちはいつも誰かのために生きてきた。 助け合うことでしか生きられなかった俺たちは みんな誰かのために夢を見ていた。 でももうそれじゃダメだ。
これは前述の通りである。必死で生きてきた彼らはいつも“自分”というものを犠牲にすることで愛を生み出してきた。それを最も体現していたのはスモーキーである(THE MOVIE1でも家族を逃がすために一人で最後まで残っている)
しかしそれではダメだ。スモーキーは悟ったのだ、いつも傍にある存在が愛で溢れていることに。そしてもっと「高く飛べ」てしまうことに。
気づいてしまえばいつまでも留まり続けるわけにはいかない、奇しくもそれは無名街を燃やされた時旗に刻まれた 『CHANGE or DIE』 が暗示している。
これからは他の誰かのためじゃなく 自分のために夢を見て欲しい。
新しい場所で。
これがシーズン1よりずっと出てきた 「高く飛ぶ」ということである。
そしてこう続く。
心配するな、みんないつまでも一緒だから。
つまりどこにいても、無名街という“場所”がなくなるだけだ。そこはただの無機物であって本当の中身は自分達一人一人だろう、そしてその繋がりだろうと。
もしこれから先、散り散りになったとして 彼らの中にお互いの存在は居座り続けるだろう。確かな愛で結ばれた絆を忘れたりは出来ない筈である。それはまるで本物の家族のように。いや、この言葉を口することでスモーキーはその愛を、家族という縁を本物にしたのだ。ただただ場所や土地で縛られているものではない、確かなものとして。
だから、
今の俺たちなら どこでだってやっていける。
と。
凪いだ穏やかな表情は、何を思っていたのか。
死を目前にして少しでも怖くはなかったのだろうか。
最後まで引きとめようとするタケシの一粒の涙は、スモーキーへの絆と愛だった。それはスモーキーにとっての光で救いであったらいい。
ここまでまるで美談のように話を展開してきたが、もちろん無差別に多くの人が住む街で、どこか満たされない者たちの集合体が美しい話で終わるはずもない。
その綻びこそ 二階堂である。
無名街を愛の街と築き上げたスモーキーに反して 二階堂は無名街出身でありながらその場所を、自分の惨めたらしい過去を憎んでいる。そしてそれを消そうと躍起になっている。
同じ場所にいながら二人の目にその場所は全く違うものに見えたのだろう。
二階堂には愛が見えなかったか、見落としていたのか。少なくともその“場所”はただの“場所”でしかなかった。
なぁ、スモーキー。お前どうしてこの”場所“に拘る。
お前には分からないだろう。
このやりとりには、お互いの無名街への認識の相違がハッキリと浮き彫りになっている。
スモーキーが拘っているのは無名街ではない。その街を構成する人々なのである。
そして笑う。満足そうに
この街に捨てられた日俺は誰からも忘れられた。
だが、この街で本当の家族を知った。血よりも強い絆で結ばれた家族
未来を信じ 家族と共に幸せに生きることができた。
全く最高の人生だった。
誰からも忘れられた一人ぼっちのスモーキーを救ったのは―――
彼は愛することで 愛され 孤独を抜け出した。
与えるばかりの 神様は、 与えることで 幸せになった。
彼は神様などではなく 一人ぼっちが怖い ただの男の子だった。
そうして幕を閉じた彼の人生。
駆けつけた家族は彼の肩を抱き、傍で泣き伏した。
それさえも 彼がどう生きてきたかの証だ。
もうすぐ無くなると分かっている場所で、簡素な墓を前に集まるRUDE。
傍で見守りながら雅貴が本当にこの場所でいいのか?と問う。
それに対して広斗はこう返す。
きっとここがいいんだ。あいつにとってはここが天国だ。
唯一自分が血の繋がらない兄弟ということを負い目に感じて生きてきた広斗だからこその言葉である。彼の立場はRUDEの境遇に通じるものがある。そしてこの言葉があったからこそ私はスモーキーの死を受け入れることが出来た。
確信したのだ。強がりではなく、彼の人生は間違いなく幸せだったと。
ラストシーン タケシが「スモーキーはもういない」と言う。
強い意思を込めた言葉だ。前を向いて歩いていくための。ただ、彼がスモーキーの言葉を踏襲するところではまるで彼が乗り移ったかのような口ぶりであった。「スモーキーはもういない」が彼らの中には確かに息づいている。
「大上下知有之」
大上は下これ有るを知るのみ
最上の君主というのは 人がみなその人がいることを知っているだけだ。
真のリーダーとは 巧みな話術も 小賢しさも 権力も要らない。
その存在が 心に認識され続けること。
それを示してくれたラストは、彼の真の願いを叶えてくれた。
『見つけてくれて ありがとう』
これで彼は 永遠に独りぼっちになることはない